担雪埋井――成果が見えない努力を、続ける意味
- 7月30日
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担雪埋井
「担雪埋井(たんせつまいせい)」という禅の言葉があります。
文字どおり読めば、「雪を担いで運び、井戸を埋める」という意味です。
しかし、井戸に雪を入れても、雪はやがて溶けてしまいます。何度運んでも井戸は埋まりません。傍から見れば、これほど非効率で、無駄に見える仕事もないでしょう。
この言葉は、「雪を担って古井を埋む」とも表現され、雪竇重顕禅師の『祖英集』に見られ、白隠禅師の『毒語心経』にも用いられています。成果が返ってくると分かっているから続けるのではなく、返ってこないと分かっていてもなお、なすべきことを黙々と続ける。その姿を表した言葉とされています。
この「担雪埋井」という言葉を知ったとき、私は中小企業の経営も、これに似たところがあると思いました。
経営は、すぐに答えが出る仕事ばかりではない
経営者は、どうしても結果を求められます。
売上はいくら増えたのか。
利益はいくら残ったのか。
広告費に対して問い合わせは何件あったのか。
採用した社員は、いつ戦力になるのか。
会計や税務の仕事をしていますと、数字で成果を確認することは非常に大切です。数字を見ずに、「頑張っています」「そのうち良くなります」と言っているだけでは、経営とはいえません。
一方で、経営には、今日取り組んだからといって、明日すぐ成果が出るわけではない仕事も多くあります。
たとえば、社員教育です。
社長が若手社員に仕事の考え方を教え、失敗を注意し、また同じことを教える。本人がようやく理解したと思ったら、退職してしまうこともあります。
そのとき社長は、「今まで教えた時間は何だったのだろう」と思います。
まさに、雪を井戸に運んでは、溶けていくような気持ちでしょう。
しかし、そこで教育をやめてしまえば、会社に人は育ちません。
ある社員が辞めたからといって、教育そのものが無駄だったわけではないのです。教える過程で、社長自身の考えが整理され、マニュアルが整備され、残った社員の理解も深まっていることがあります。ただし、それは後から振り返って気づくことであって、教育を始めるときに見込める果実ではありません。
目の前の雪は溶けても、雪を運び続けた人の足腰は鍛えられているのです。
日々の数字に表れない活動が、後から数字をつくる素地となる
会計は、過去の経営活動を数字として表すものです。
しかし、決算書に表れる数字の多くは、その前に行われ蓄積された、数字に表れない活動から生まれています。社員との対話、顧客への誠実な対応、地道な技術の改善、社長自身の勉強、会社の理念を繰り返し伝えること。いずれも、取り組んだ日に売上として計上されるものではありません。貸借対照表に「社員との信頼」や「社長の判断力」、「よい社風」という資産が載ることもありません。
しかし、長期的にはこのような日々の活動によって、見えない資産が作られていき、その差が他の会社との業績の差になっていきます。
私は多くの会社の決算書を見てきましたが、安定して黒字を続ける会社ほど、目先の利益だけでは説明できない、地味な取り組みを長く続けています。
掃除を徹底する会社。
毎朝短時間でも打ち合わせをする会社。
クレームを社長まで共有する会社。
古い設備を丁寧に整備する会社。
社員教育に時間をかける会社。
一つひとつを見ると、「そこまでしなくてもよいのでは」と思えることかもしれません。
そして興味深いのは、こうした会社の社長に「なぜ続けているのですか」とお聞きしても、「利益になるからです」という答えはあまり返ってこないことです。当たり前だから、やらないと気持ちが悪いから、そうしないとお客様に申し訳ないから。だいたい、そのような答えです。
損得を計算して始めたわけではない取り組みが、社風になり、品質になり、信用になり、結果として利益という形で残っている。順序としては、こちらが実際に近いのだと思います。見返りを当てにして始めた掃除は、たいてい長続きしないからです。
これらの日々の活動は地味で、やっていてすぐに改善や成果につながるようなものではありません。もしかしたらこれは徒労ではないかと疑う気持ちが湧くこともあります。そのようなときに、担雪埋井という言葉を思い出していただければと思います。
そして経営者は、雪を運ぶ意味を語らなければならない
雪を運ぶ仕事を、社員に黙ってやらせるだけでは、組織は疲れてしまいます。
「何のために、この仕事を続けるのか」
社長は、その意味を繰り返し伝えなければなりません。
たとえば、製造現場で細かな検品作業を行っているなら、「ミスを探すため」だけではなく、「お客様が安心して使える製品を届けるため」と説明する。
飲食店で毎日閉店後に調理器具を丁寧に手入れするなら、「決められた作業だから」ではなく、「明日も同じ品質の料理を、お客様に安心して提供するため」と説明する。
人は、作業だけを命じられると疲れますが、意味を理解すると、自分で工夫を始めます。
担雪埋井とは、何も考えずに無駄な努力を続けることではありません。成果が見えにくくても、なすべきことの意味を理解し、淡々と続けることなのだと思います。
続けるべきものと、やめるべきもの
ただし、ここで一つ申し上げておかなければならないことがあります。
すべての「続けること」が、担雪埋井ではありません。
赤字の止まらない事業、条件の合わない取引先、回収の見込みが立たない設備投資。これらを「いつか報われるはずだ」「続けることに意味がある」と言い換えてしまうと、この言葉は、撤退の判断を先送りするための口実になってしまいます。担雪埋井は、数字から目をそらすための言葉ではありません。
雪を運ぶのか、運ばないのか。それを決めるのは、井戸の前に立っている経営者です。運ぶと決めたのなら、結果を急がずに続ける。運ばないと決めたのなら、早く決めて、力を別のところに向ける。どちらも経営者の仕事であり、その判断の材料を数字でお示しすることが、私どもの仕事だと考えています。
経営をしていれば、「これを続けて本当に意味があるのだろうか」と迷うことがあります。
そのときは、まだ成果が出ていないという一点だけで決めるのではなく、
「これは会社の未来につながっているか」
「顧客や社員の幸せにつながっているか」
「自分が経営者として大切にしたいことか」
と、考えてみてはいかがでしょうか。
雪は井戸の中で溶けて、形を残さないかもしれません。
しかし、雪を運び続けた姿勢は、人に伝わり、組織に残ります。それは見返りとして当てにできるものではありませんが、長い時間が経った後に振り返ったとき、信用や人材、企業文化という形で、会社を支える力になっている――そういうものではないかと、私は思っています。
足立知弘





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