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君主論から考える、経営者の現実を見る力

  • 2 時間前
  • 読了時間: 7分


「君主論」は悪い経営者になるための本なのか?


最近、野中郁次郎先生のワイズカンパニーを読んだときに、マキャヴェリズムについて触れられているところがあり、先日、マキャベリの『君主論』を再読しました。読み終わって、あらためて考える機会がありました。

『君主論』という本の名前は、ご存じの方も多いと思います。 一般には、「目的のためなら手段を選ばない」「人を信用せず、権力を維持するための本」といった、少し怖いイメージを持たれがちです。 確かに読んでみると、現代の感覚では「そこまで言うか」と感じる部分があります。 しかし私は、この本は単純に「冷酷なリーダーになる方法」を教える本ではないと思っています。 むしろ経営者にとって重要なのは、「人間や組織というものを、きれい事だけで考えてはいけない」という教えではないでしょうか。

マキャヴェリは1469年にフィレンツェで生まれ、共和国政府の官僚として外交などの実務を経験しました。1512年にメディチ家が政変で復権すると官職を追われ、1513年頃に『君主論』を書いたとされています。実際の政治の現場を経験した人物が、理想論ではなく「現実の権力はどう動くのか」を考え抜いた本なのです。

これは、会社経営とも重なるところが多いように思います。


「良い人」であるだけでは会社を守れない

中小企業の社長さんと話をしていますと、とても人柄の良い方がたくさんいらっしゃいます。 社員にも優しい。 取引先にも誠実。 困っている人がいれば助ける。 もちろん、経営者として大切なことです。

しかし、「良い人であること」と「良い経営者であること」は、必ずしも同じではありません。

例えば、長年働いてくれている社員の勤務態度が悪くなり、周囲にも悪影響を与えているとします。 社長としては、「長く頑張ってくれたから」、 「家庭もあるだろうから」、 「厳しく言ったらかわいそうだ」と思うでしょう。

その気持ちはよく分かります。

しかし、その社員一人への遠慮によって、真面目に働いている他の社員が嫌な思いをしているとしたら、どうでしょうか。

あるいは、昔からの取引先だからという理由で、採算割れの仕事を何年も引き受け続けている会社があります。 売上は立っています。 しかし決算書を見ると利益がない。 社長に理由を聞くと、「先代からのお客さんだから、値上げは言いにくいんですよ」と言われます。

これも人情としては理解できます。

しかし、赤字取引を続けた結果、会社そのものが弱くなれば、社員の給与も上げられません。設備投資もできません。最後には、会社の存続そのものが危うくなるかもしれません。

経営者には時として、誰か一人にとっては厳しく見える判断をしながら、会社全体を守らなければならない場面があります。

『君主論』が面白いのは、このような「現実」を徹底して見ようとするところです。

マキャヴェリは、それ以前の「統治者は徳の高い善人であればうまくいく」という考え方に対し、善良さだけでは国家や権力を維持できない場合がある、と現実の政治から考えました。 これは経営にも通じるものがあります。


社長には「嫌われる覚悟」がいる

『君主論』で有名なのが、「愛されること」と「恐れられること」についての議論です。 これをそのまま会社経営に持ち込んで、「社員を怖がらせた方がいい」と考えるのは間違いです。 そのような会社は、長続きしないと私は思います。 ただし、ここから学べることがあります。

それは、「経営者は全員から好かれようとしてはいけない」ということです。

例えば業績が悪化している会社で、社長が社員から嫌われたくないために、

「賞与は去年と同じように出そう」 、「赤字部門もそのまま残そう」、「値上げもしたくない」、 「借入を増やせば何とかなるだろう」と判断していったらどうなるでしょう。

一時的には誰からも嫌われません。 しかし数年後、資金が尽きて会社が倒産すれば、結局もっと多くの人を不幸にします。

私たち会計事務所の仕事でも、似たようなことがあります。 決算数字を見れば、

「このままでは危ない」

と分かることがあります。 そのとき、税理士が社長に気に入られたいからといって、

「まあ大丈夫でしょう」

と言ってはいけません。 ときには、

「この役員報酬は会社の体力に比べて高すぎます」 、「この事業から撤退することを考えるべきです」、 「今の借入ペースは危険です」

と、社長が聞きたくない話をしなければならない。

経営者にとっても、これは同じことだと思います。 必要な時には、嫌われる可能性があっても言うべきことを言い、決めるべきことを決める。 私はこれも、リーダーの責任だと思っています。


運を嘆くより、「堤防」をつくる

もう一つ、『君主論』で私が経営者にとって面白いと思うのが、「運」についての考え方です。 マキャヴェリは、人間の人生には自分ではどうにもならない「運」があることを認めています。 そのうえで、運を暴れ川にたとえています。 大雨が降れば川は氾濫する。 人間には雨を止めることはできない。 しかし、平穏な時に堤防や水路を整えておけば、被害を小さくすることはできる、という考えです。

これは、経営そのものではないでしょうか。 例えば新型感染症、原材料価格の高騰、主要取引先の倒産、為替変動、災害。 社長がどれだけ優秀でも、すべてを予測することはできません。

しかし、現預金をある程度持っておく。 借入余力を残しておく。 一社依存にならないよう取引先を分散する。 利益率の高い事業を育てる。 特定の社員にしか分からない仕事を減らす。

これはできます。

私は顧問先の決算書を見るときも、単に「今年はいくら儲かったか」だけを見るのではなく、「何か起きたとき、この会社はどのくらい耐えられるだろうか」という目でも見ています。


利益は大切です。 しかし経営には、利益と同じくらい「余力」が重要なのです。 平時に余力をつくる。 これが経営における「堤防」なのでしょう。


現実を見ることと、冷酷になることは違う

『君主論』は、道徳と政治の関係をめぐって何百年も議論されてきた本です。単純に「悪いことをしても勝てばよい」という一冊として読むのは、かなり乱暴だと思います。現在の研究でも、マキャヴェリは理想化された政治論から距離を取り、「実際に人や権力がどう動くのか」を重視した思想家として論じられています。

経営者も、同じではないでしょうか。 社員は全員、会社の理念だけで動いているわけではありません。 給料多寡や社内の人間関係も大切です。 会社の自分への評価も大切です。

そしてこれは社内だけでなく、自社の取引先や金融機関、ライバル会社も同じように関係しています。

こういう人間の現実を理解したうえで、それでも皆ができるだけ良い方向へ向かう仕組みをつくる。 それが経営なのではないでしょうか。

人間を信じることと、人間を無条件に善人だと思うことは違います。 社員を大切にすることと、社員に何をさせてもよいということも違います。 取引先を大切にすることと、赤字取引を続けることも違います。

経営者には、人への温かさと同時に、現実を見る冷静さが必要なのです。


経営者こそ古典を読んでみる

以前のコラムでも書きましたが、私は経営者こそ歴史や古典を読むと良いと思っています。 2500年前の『孫子』を読んでも、500年前の『君主論』を読んでも、「これは今の会社でも起きているな」と思うことがあります。

テクノロジーは変わりました。 会社法も税法も変わりました。 しかし、人間そのものは500年前から、それほど大きく変わっていないのかもしれません。

嫉妬する。 欲を持つ。 怖がる。 安心したがる。 利益があれば動く。 そして、信頼した人には力を貸す。

その人間が集まって会社という組織を作っています。 だからこそ経営者は、会計やマーケティングといった技術だけではなく、人間について学ぶ必要があるのでしょう。

『君主論』を読み終えて私が思うのは、「経営者は善良でありたい。しかし、善良であるためにも現実を見る強さが必要である」ということです。

会社を守るために、時には厳しい決断をする。 運が悪かったと嘆く前に、平時から堤防をつくる。 そして、人間は理想通りには動かないということを知ったうえで、それでも人を信じて組織をつくっていく。

500年前のフィレンツェで書かれた本ですが、中小企業の経営者が読んでも、考えさせられるところの多い一冊だと思います。

私自身も、経営者として「人に優しく、判断には厳しく」ということを忘れず、経営に向き合っていきたいと思っています。

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