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経営の成功は「目的」か「手段」か――社長の人生軸を取り戻す

  • 1 日前
  • 読了時間: 7分



社長の人生の目的と、経営の成功


「社長は、なぜ事業を始めたのでしょうか?」


私は初めてあった経営者とお話をするときに、このようにお聞きします。なぜなら、事業を始めたきっかけに、社長のそれまでの人生が大きく影響していることが多いからです。事業を始めたきっかけと、そこから広がる事業構想などから、社長の価値観なり人となりがわかってきます。

経営と人生は切ってもきれない関係にあると思います。そして社長になると、会社のことを考えない日はないですし、責任も重いものです。そして何より食えるか食えないかは自分の腕一つに関わっていますから、がむしゃらに頑張っていかないといけません。

社長は毎日経営のことばかり考えるようになります。まさに事業を始める時もそれまでの人生が関わり、そして始めた後も人生に影響を与えていくものとなっていきます。

そのためか多くの人が、だんだんと人生の目的と経営の成功が一つのものになって行きがちです。

ただ、“人生の目的=経営の成功”で良いのでしょうか。

私は人生目的を達成するために経営の成功があるわけで、それは「主=人生の目的」、「従=人生の目的を達成させるための手段」の関係にあると考えています。

この主従が逆転すると静かに、しかし確実に自分の人生において大事だったものが壊れていきます。勝っているのに、心が荒れる。数字は伸びたのに、家庭が冷える。社員との距離が遠くなる。そして最後に「何のためにここまでやったんだっけ?」と思う日が来たりします。

しかし、人生の大部分を経営に費やしているにもかかわらず、それが全て手段であって人生の目的に一切加味しないというのも、一方でおかしな話でもあります。経営者“人生”という言葉も、しっかりと通じるわけですから、経営者として歩んできた人生も、人生の一部なのです。では、どのように人生の目的と経営を考えればいいのでしょうか?


人生の目的は外部の「成功したか」ではなく、内面の「どう生きたか」にある


私は、そのヒントとしてローマストア派の話を引用して考えたいと思います。

ローマのストア派の哲人皇帝であるマルクス・アウレリウスは、自分の心を激しく揺さぶる状況に関して、このように自分自身に言い聞かせています


「その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、煩わしいのはただ内心の主観からくるものに過ぎないということ。もう一つは、全て君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。そしてすでにどれだけ多くの変化を君自身に届けたことか。日夜これにおもいをひそめよ」 (自省録4巻3節)


私はこの言葉を経営と人生においても置き換えて説明できるような気がしています。

経営の結果は自分の魂の外の出来事になります。そしてその外の出来事にどう影響を受け、どう解釈するかは内心の主観です。そして外的なものというのはどんどんと変化していきます。

このため、主観を「外の出来事(成功・評価・結果)」に強く影響を受けるところに置くと、内心の主観が外側のことに煩わされます。例えば自分の収入の額を人と比較して落胆したり、自社の成長が他所よりも遅く悔しがったり、知人の企業が成長してニュースになって嫉妬したりしたとき、外側との評価に魂が引っ張られて、人生がずっと振り回されるものとなるのです。また逆にこのことは、自分の内心の満足を、外に求めることでも振り回されることにもなります。名声や収入、企業規模、肩書きなど外側から評価されるものを求めるようになると、自分の内心で大事なことを見失ってしまうことがあるのです。


「自分が支配できるもの」と「できないもの」を分けることの大事さ

ストア派の哲学者であるエピクテトスは、『提要(エンケイリディオン)』の冒頭でこう言います。“世の中には「自分次第のもの」と「自分次第ではないもの」がある。自由でいられるのは“自分次第のもの”に集中するときだ”、と。

例えば、以下のようにその二つは書くことができます。

·       自分次第ではない:自分の評判、寿命、運不運、体調、景気、人々の考え・思想、富貴

·       自分次第のもの:自分の判断、態度、人への敬意、学び続ける姿勢、筋の通った意思決定

ここで、外部のものは「自分次第でないもの」とほぼイコールではないでしょうか。また内心は「自分次第のもの」とイコールと思います。マルクス・アウレリウスが言ったように、内心の外側にあるものに主観が影響を与えられて心がざわつくのですが、外側にあるものは自分ではコントロール出来ないです。全ては自分の内心において制御するほかないのです。

このようにストア派は、幸福を外部的な“結果”ではなく、内心の主観を通した“生き方(徳)”に置きます。要するに、誠実に判断したか、節度を保ったか、勇気を出したか、正義を守ったか。こういう「どう生きたか」が、人生の中心になる考え方なのです。


「経営の成功」は必要。だけど“目的”にしない

もちろん会社にとって経営の成功は必要です。例えば、仮に経営の成功を大きく利益を得る事業を作り上げたということにしましょう。利益は、会社における事業活動を動かす燃料です。この燃料がなければ、事業という船は動かない。社員も守れない。何より社長の自分が食っていけない。これは現実です。

ただ、人生の中心に置くべきものは、燃料そのものではない。その燃料で動かした船で何を運び、どのように航海して、どこに行き着くかです。この、何を運びの部分が人生における大事なもの=社長の価値観であり、どのように航海したのか部分が経営者人生であり、どこに行き着いたかが人生の目的の到達点ではないでしょうか。

人生における「大事なもの」を、社長は意識して守らないと、忙しさの中で簡単に失います。

私がいろいろ見てきて、結局ここに集約される気がします。


·       人間関係:家族、社員、仲間との信頼

·       健康:身体と心。崩れたら全部が崩れる

·       誇り:自分が納得できる判断をした、という感覚

·       学び:修羅場で折れない軸を作る

·       貢献:「役に立てた」という実感


面白いことに、会社が大きくなれば自動的に手に入るわけではありません。むしろ、会社が伸びるほど、意識しないと薄くなるものばかりです。

勝ちにいくほど、人生が痩せる社長がいます。

業績が伸びている時ほどピリピリして、社内で笑わない。家でも心が休まらない。「勝っているのに苦しい」状態ですね。人生の目的が“勝つこと”=魂の外部のことになると、勝ち負けが心の天気=内心の主観を決めてしまう。

一方で苦しい時ほど、人生の軸が残る社長もいます。

厳しい局面でも、最後まで筋を通し、人への敬意を失わない社長もいます。短期の結果は苦しくても、信頼が残る。信頼が残ると、縁が残る。縁が残ると、また立ち上がれる。厳しい外部環境に流されず、内心の主観において「大事なもの」を失っていないからでしょう。

私は、経営の強さを社長の内心の主観にあると思っています。それは「何のためにやっているか」という内心の主観の軸が、社長の判断を決めているのです。

「数字だけ」を守る戦いは、判断が短期化し、心が荒れやすい。「人・信頼・誇り」も守る戦いは、苦しくてもブレにくい。

ストア派の言い方を借りれば、人生の中心に置くべきものは“外から奪われやすいもの”ではなく、“自分の生き方として守れるもの”です。 

人生の目的は、経営の成功という外部に置くのではなく、内心の主観の徳に置くことが重要です。

その内心の主観における「大事なもの=価値観」を積み、人生の目的の到達点まで航海する=経営することが経営者としての人生であると思うのです。その航海の結果が人生の目的の到達点=幸せという港であるはずです。そして積み荷を間違えて、港についてしまうと、違う届け物をしてしまい、これまでの航海の意味をなくしてしまうのです。


人生は短いのではなく、浪費しやすい

セネカは「人生が短いのではない。私たちが多くを浪費しているのだ」という趣旨を述べています。 自分次第ではないものに主観を置き過ぎてしますと、簡単に人生を浪費させます。

経営は人生の「手段」であり、「舞台」です。人生の目的は、経営の成功そのものではなく、経営という舞台で社長という役割を通じて、どう生きたかにある。私はそう思っています。

 

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