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人生における「修羅場の経験」に意味はあるのか




今年も個人の所得税の確定申告も終わり、一息つくことができました。

当社は個人の確定申告については、そこまで数量はないので、他の同業他社よりは大変ではないとおもいますが、一斉にこの時期に集中することには変わりが無いため、仕事に非常な負荷がかかります。

そういう意味では、毎年のこの時期は「修羅場」となります。


 

人生の修羅場


修羅場と言いますと、「人生における修羅場」というのも、人間生きていれば何度か経験するものと思います。 人間関係や仕事関係、夫婦関係等々、いろんな場面で修羅場はあると思います。 これを読んでいただいている皆様の人生においても、修羅場というものがあったと思います。

昔の人は「苦労は買ってでもしろ」ということを言って、私も教育されてきたこともありましたが、できれば修羅場の経験というのは避けて生きていきたいと思うものです。 しかし、人生はそんなに甘くなく、どうしても修羅場を迎えてしまうことがあります。


私の人生で最初の修羅場


私の人生でも、何回は修羅場の経験があるのですが、その中でも最初の修羅場は、大学入学時に鬱病みたいになったことでしょう。今でいえば適応障害というものだったと思うのですが、当時はそういう言葉もありませんでした。

1992年に静岡大学に合格し入学したのですが、いままで行ったこともないところで、かつ親や親戚、友達もおらず一人取り残された感じで生活することになりました。 環境の変化に心が追いつかなかったのか、だんだんと眠れなくなり、胸の動悸がずっと止まらず、だんだん世の中がつまらなく思えてきて、毎日朝起きると自殺したくなってきてしまいました。人生で始めてこんなになって、まして一人暮らしですから、どう解決したものかと相談する人もおらず、かなり悩みました。高校卒業したばかりでなにもわからない、いままで親に面倒見てもらっていた身には、非常に生死がかかった修羅場です。

ただこのまま、なにもせずではいかん、本当に自殺してしまうと思い、すがる思いで近くの内科のクリニックに行きました。

そうしたら医者から、「五月病がひどくなっただけだから。元気がでるお薬出すので、飲んでください。飲めば治るから」と、診断されました。 私が「元気が出る薬とはなんですか」と聞くと、ビタミン剤とのこと。

まぁ医者の先生が言うならと、下宿に帰って何日か飲んでいたら、なんと本当に治ってしまいました。やはり専門家の言うことは、しっかり信じて聞くモノですね(笑)。


修羅場の経験から得た気づき


6月も後半になると、すっかり元気になってやる気が出てきたのですが、どうしてこんなに死にたいと思うようになったのかと、不思議になってきました。 そこで、時間もあることなので、いろんな本を読むことにしました。

大学時代は様々なジャンルの本を多読しました。

その多くの本を読む中で、私の人生に大きな影響を与えることになる、ヴィクトール・E・フランクル著の

「夜と霧」に出会いました。「夜と霧」は、人生の目的と意味を見出すためのガイドとして、また、困難に直面した時にどのように精神的な強さを保つかについての洞察を提供しくれた本です。 「夜と霧」は、ヴィクトール・E・フランクル自身の、アウシュビッツを含むナチスの強制収容所での経験を基にした、精神分析の手記です。 本書では極限状態の中でも、いかに人間の尊厳を保ち、苦悩に意味を見出すことが、どのようにしてできたかを探ります。 フランクルは、外部の状況がどれほど過酷であっても、個人が自分の態度を選択し、その状況に意味を見出す能力を持っていると主張します。ナチスの強制収容所で経験した極限状態の中で、人間がいかにして精神的な強さを保ち、生き抜くことができるかの深い洞察が綴られています。

この本を読んで、大学生だった私は心うたれました。

「その通りだ、人はどんな状況であっても自分がどう考えるかという精神の自由は奪われないのだ。そして極限の状況―修羅場にあっても、その苦悩が自分の人生にどのような意味があるのかを考えれば、苦悩もまた自分の人生の一部なのだ」と思うようになりました。

そして、同時に希望ということについても考えるようになりました。

それは、この本の中で極限状況のなか精神を保つために、常に希望を失っていないように読めたからです。

 

フランクルは、極限状態下でさえ人生の意味を見つけることが、人間が絶望を克服し、生き延びることができる主要な動機であると考えました。

「夜と霧」における希望は、困難に直面しても決して諦めない人間の不屈の精神と、人生の最も厳しい試練の中でも意味を見出し、それによって生きる力を得ることであったと、大学生だった私は考えました。


修羅場の苦悩の意味と希望


フランクルの言う、この極限状況下における人生の意味の追求は、人が直面する苦痛や困難に対して一種の解答を提供し、私の生き方を変える力を持っていました。

人生の修羅場というのは、そのときはとてもつらいモノです。苦悩で絶望するような状況におかれ、真っ暗でなにも見えないような精神状況かとおもいます。 しかし、その苦悩にも生きる意味を見いだし、そしてその中から生きる希望をも見つけ出すこと、それが生き方であると思うようになりました。

 私は大学を卒業してから公認会計士になり、監査法人で酷いパワハラに遭いながら苦悩していたときも、この修羅場の経験の意味を「夜と霧」の事を思い出し、考え、明日への希望を見いだして生きてきました。

 自分で事務所を経営している今でも、いつも良いことばかりでは無く、経営における苦悩や苦しみというものからは、逃れることはできません。

しかし、人生において苦悩の意味を理解し、そして人生の先にある自分の死さえも、人生の一部として意味を考えれば、また今日そして明日も生きていこうという気持ちが湧いてきます。

大学生だった私は、「夜と霧」を読んで自己分析してみました。

結論的には、私は大学に行くことに意味を見いだせていなかったんですね。本音は別にどこでも良かったのですし、合格しなくても良かったのです。とりあえず、そのうち合格すればいいくらい目標に考えていたのです。 そこに偶々合格してしまって、とりあえず両親が行けというので来てしまった。 この状況で、「どっかに適当に大学に行く」という自分の人生目標を達成し、次の目標を喪失していました。この時点で次の生きる意味を失っていた、なにかやりたい事も無い、希望も持っていない状況でした。

「人は希望があるから、生きていける」

私は、鬱という人生の修羅場での苦悩から生きる意味を考え、そして人生の希望を持つ意味を知りました。

これが、私の受動的な人生を能動的なものに変え、自分の心に希望を持たせるものが大事ということを知り、公認会計士を受験するきっかけにつながって行きました。

「人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」

文中のフランクルの言葉は、自分の人生において理不尽の苦境に立たせられても、なおまだ自分は生きている、考える事ができるという希望を与えてくれます。 私も、この言葉を胸にこれからも生きていきたいと思います。

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